●僕と音楽の出会い
中学2年生の頃、ローリングストーンズ、ショッキング・ブルー、イーグルスなどの洋楽を聴き始めて音楽に夢中になって行く。このころギターも弾き始めほんとに定番の「禁じられた遊び」を真似てしだいにシンガーソングライラーの世界にのめりこんで行く。
ラジオから聞こえてきた、井上陽水の「東へ西へ」「人生が二度あれば」をコピーしてファンになる。
20歳のころ地元、佐賀中学校の体育館で井上陽水と出会いコンサートを見て鳥肌が立つほどの感動を覚え、自分も人に鳥肌を立たせるぐらいの歌が唄いたいと音楽活動を始めるきっかけになる。決して女の子に持てたいと言う定番な動機からではないのです。
でも僕の最初のオリジナル曲は「そこは海だった」ですが、この曲は数ある曲の中では数少ない恋愛の歌なんです。
ソロ活動をしていた4人の音楽好きの仲間が集まって、グループサウンズ、タイガーズ、カーナビーツ、スパイダースなどにあこがれバンド活動に魅力を感じ、アマチュアバンド「おにやんま」を結成する。
「おにやんま」のバンド名の由来は、ドラムの長島さん通称マー君のあだ名で、いつも、とんぼの様な丸いサングラスをかけていて、その顔がトンボのおにやんまに似ていたことから簡単に決まりました。
僕のオリジナルの中に、けっこう有名な「おにやんま」と言うタイトルの曲がありますが決してこの曲からバンド名を付けたものでは無いんです。バンドの構成も僕は歌うことしかできなかったが他のメンバーはどんな楽器でも演奏することができたので簡単に担当楽器が決まりました。

「おにやんま」のテーマソングが作りたかった。そこには幼いころ生まれ育った鈴の風景が想い浮かび「♪もう帰ろう 誰かの声が もう帰ろう いつもの声で♪」の詩と曲が同時にできこれをサビにして自然と「おにやんま」が生まれたのです。
余談ですが、この曲を作っている時、佐賀の空に銀色に光るUFOを見てパワーをもらい、この曲ができたと僕は真面目に思っています。
僕の歌は対話や目に映る物に感動し心動かされ、恋愛も失恋もして自分の経験かに基いて数々の曲ができている。
最近では、人に対する優しさや正しく生きて行くかをテーマにし子供達に伝えるコンサートや公演活動を年間30ヵ所ぐらい行っている。
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